常陸国風土記にある鹿島神社についてもう少し見て行きましょう。
 常陸国風土記は、養老五(721)年完成。『続日本紀』の和銅六(713)年五月甲子の勅により編纂が始まった風土記の一つです。

 鹿島神社関係(そこでは「香島」とかかれます)の記事を年代順に抜き書きすると

 ・ 天土のはじめ、信太郡高来の郷に「普都大神」が天下ってきてそこを平定し、武具・玉をおいて帰ります。
 ・ 天土の草味より前、諸々の祖神(土地の人は、これを「かみるみ」、「かみるぎ」という)が八百万の神が高天原に集まったとき、「諸々の祖神の告りたまいしく、『今、我が御孫の命の光宅む豊葦原の水穂の国』とのりたまいき、高天の原より降り来ましし大神、名を香島の天の大神と謂う」とあり、自ら天下ってきた神であることのべています。
 ・ さらに、土地の人の話として、崇神天皇の御代に「大坂山の頂に白細の大御服坐して、白鉾の御杖を取り坐し、識し賜ふ命は『我が御前を治め奉らば、汝が聞こし看さむ食国を、大国小国、事依さし給わむ』と識し賜ひき。時に、八十伴緒を追集へ、此の事を挙げて訪問ひたまいき。是に、大中臣の神・聞勝の命、答えて曰さく、『大八島の国は、汝が知食さむ国と、事向けたまひき。香島の国に坐す、天津大御神の挙教しましし事なり』とまをしき。天皇は、諸を聞しめして、即ち恐み驚きたまいて、先の幣帛を神の宮に納めたて奉りき」とあります。
 ・ 同じく崇神天皇の御代、行方郡の「東の垂の荒ぶる賊を平けむと為て、建借間命を遣しき。軍士を引率て、凶猾を略け、安婆島に頓宿りて」とあり、そしてその後、そこにいた原住民である国栖を策略を用いて、焼き殺す、という記事があります。
 ・ 大化五(649)年に、古老の話として、「大乙上 中臣☓子、大乙下中臣部兎子等、惣領高向の大夫に請ひて、下総の国、海上の国造の部内、軽野より南の一里、那賀の国造の部内、寒田より以北五里とを割きて、別きて神の郡を置きき」とあり、そして、「其処に有す天の大神の社・坂戸の社・沼尾の社の三処を合せて、惣べて香島の天の大神と称ふ」とあります。
 ・ 天智天皇の御世(668-672年) に「初めて使人を遣して、神の宮を造らしめき」

 上記表を見て感じることは、鹿島神宮は比較的新しいということです。
 信太郡高来の郷に天下ってきた「普都大神」は、物部氏の祭神と見られ、香取神宮の祭神です。行方郡の項に、香取神社関係の記事の多いことも、香島があとの理由の一つに挙げられます。この郡は、現在も香取神社の分布密度の濃いところです。普都大神の後か同時に、多分あとに、香島の天の大神が天下ってきたのでしょう。そして、中臣氏が「神の郡」を置いて、もともといた神を利用して、新たにここに鹿島神宮を作ったと考えられます。
 香取神宮と鹿島神宮が霞ヶ浦水郷一帯の流域の太平洋の出口に鎮座しているというのは、巨視的にはそうですが、微視的には違います。常陸国風土記には書かれていない息栖神社のほうがそういった意味では重要な位置にあります。次回にその辺を見て行きましょう。


 常陸国風土記は、出雲風土記の整然とした詳細な記事に比べ、現場はあまり重視せず、文章の旨さをひけらかし、記載の内容は粗末なものに感じられます。中央から派遣された役人が書いたものでしょう、大和の神々が荒ぶる神を言向け和す話が主で、出雲風土記のようにしっかりとした地誌を書こうという意志が感じられません。出雲風土記に挙げられている神社の数の多さ、ならびに浮島村という小さな村に九つものの社があるという記事から見て、もっともっと多くの神社があったでしょう。省かれた部分に、神社の詳細が記載されている可能性はありますが、行方郡のように全文があってもわずかな記載しかありません。
 此の風土記には神社の記載されている神社・神を下に表としてまとめました。
 なお「常陸国風土記」は講談社学術文庫を見ています。

 関係記事リンク

鹿島神社(5)-鹿島・香取神宮 摂末関係社の分布、成田空港との関係 2
鹿島神社(4)-鹿島・香取神宮 摂末関係社の分布、成田空港との関係 1
鹿島神社(3)-息栖・鹿島・香取神社の位置を見る
鹿島神社(2)-常陸風土記にある香島・香取神社をプロットする
鹿島神社-坂戸神社の位置を考える
(図はすべて、クリックすることにより大きく見ることができます)


常陸国風土記にでてくる神社・神  
                    風土記記事                                    比定地                  
社名神名        場所                     事象               講談社文庫比定地 プロットのための比定地
普都大神        信太郡高来の里      天地の始め 天下り              阿見町竹来にある阿見神社付近 阿見町竹来
飯名の社        信太郡高来の里の西           筑波の山の飯名の神を分祀 龍ケ崎市八代の稲塚 龍ヶ崎市稲塚古墳
九つの社        信太郡浮島村
香取の神子の社    行方郡鴨野、枡の池の北                          行方市若海・捻木両地の香取神社 行方市若海
国社 県の祇      行方郡群の東               大井という泉がある      行方市麻生・国神社 行方市行方国神神社
香島の神子の社    行方郡提賀の里の北                              玉造大宮明神社 行方市玉造乙
谷戸の神        行方郡                                       愛宕神社(谷刀神社) 行方市玉造甲
香取の神子の社(注1)行方郡栗谷の池の北                              麻生町四鹿にある香取社 行方市四鹿
二つの神子の社    行方郡当麻の里                                 鉾田町当間の鎮守社 鉾田市当間
香島の神子の社    行方郡波須武の野の北の海辺                        不明          行方市小牧
天の大神社(注2)    香島郡           孝徳天皇在位時 香島郡を作る         鹿島神宮       鹿嶋市宮中 
坂戸の社(注2)     香島郡                                       坂戸神社       鹿嶋市大字山之上  
沼尾の社(注2)     香島郡                                       沼尾神社       鹿嶋市大字沼尾 
天の大神社       香島郡          崇神天皇の御代 幣を奉る            鹿島神宮
天の大神社       香島郡          天智天皇在位時 神の宮つくらしむ       鹿島神宮
津の宮          香島郡                                       鹿島町大船津の地か 鹿嶋市大船津
             那賀郡茨城の里片岡の村                          式内社藤神社か   水戸市藤井町藤内神社
長幡部の社       久慈郡太田の郷                                長幡部神社      常陸太田市幡町
「賀毘禮の高峯」の社 久慈郡                                       薩都神社の元々の地

(注1)行方市小高にある 側鷹神社にも比定されていることもある
(注2)天の大神の社・坂戸の社・沼尾の社の三社まとめて、香島の天の大神



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